人やアイデアが交差し、新たなビジネスが生まれていく起点となるように。
「xBridge-Tokyo」というネーミングに込められたこの想いをダイレクトに表現するべく、重要なキーワードである「X」と「Bridge」の「B」を、シンボルマークのモチーフとして採用。
「X」の力強い右肩上がありの線では、このオフィスに集まるスタートアップが突き抜けて発展していく様子を表現しています。
xBridge-Tokyoは、2018年4月に東京都中央区八重洲一丁目に所在する旧東京建物本社ビルにて、XTech代表の西條晋一と東京建物、そして急成長を志すスタートアップ等12社と共に、スタートアップ・スタジオ*という概念の下、創業期のスタートアップ向けシェアオフィスとしてスタートしました。
開設から2年を経て、旧東京建物本社ビルは再開発に伴い解体となり、同時に初代xBridge-Tokyoは移転。当時入居していたスタートアップは全社卒業となりましたが、その間23社の累計資金調達額は20億円を超え、彼らは今もこの東東京エリア内で、それぞれのビジネスで更なる飛躍を遂げています。
そして、2020年4月、新生xBridge-Tokyoは同じ八重洲一丁目内で再始動。新たな仲間となったスタートアップと共に熱量の高いコミュニティを創り続けています。
新規事業の成功体験を持つ経験者が集まり、エンジニアリング、デザイン、マーケティング、リクルーティング等の様々なビジネス知識・ノウハウを持つ集団を組織し、 多発的・非連続的にスタートアップを創出し、成長を支援する事業形態。各分野のプロフェッショナルが集結してヒット作を生み出すハリウッドの映画スタジオのモデルになぞらえ、「スタートアップスタジオ」としている。
1973年徳島県生まれ。1996年早稲田大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。財務部・為替部を経験。2000年サイバーエージェントに入社。サイバーエージェントFX、ジークレスト、サイバーエージェント・ベンチャーズなど多くの新規事業、子会社の立ち上げに携わり、複数社の代表取締役を歴任。2008年専務取締役COO就任。WiL共同創業者ジェネラルパートナー、Qrio代表取締役を経て、2018年XTech、XTech Venturesを創業。同年7月にエキサイトホールディングス代表取締役社長CEOに就任。
慶應義塾大学文学部卒業後、2015年東京建物に入社。オフィスビルの法人営業を担当後、シェアオフィス「+OURS」の運営業務に従事。2018年より、大好きな八重洲・日本橋・京橋エリアの魅力をスタートアップに発信するため、スタートアップ・スタジオ「xBridge-Tokyo」をXTech社と共に開設し、“みんなの総務”として入居者の成長支援を開始。現在は、同エリア独自のイノベーション・エコシステムの形成・発展に向けて、様々なプレーヤーと共に各施策を推進中。
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、2017年東京建物に入社。同年グループ会社の東京建物不動産販売に出向。不動産仲介営業に従事し、マンション1室から1棟収益不動産、土地など幅広い不動産の仲介に携わる。2020年より、東京建物まちづくり推進部にて「xBridge-Tokyo」の運営に携わる。
大学卒業後、新卒でアパレル企業に入社。2015年に不動産企業へ入社し、海外(主に東南アジア)のショッピングモール運営業務に従事。その後アパレル企業でのPR・広報職を経て、2020年1月に東京建物へ入社。現在はxBridge-Tokyo運営のアシスタントとして、SNSをメインで担当。より多くのスタートアップ企業へxBridge-Tokyoの魅力を発信できるよう日々模索中。
江戸時代、日本橋を起点とした五街道や水路が整備されたことにより、この八重洲・日本橋・京橋エリアには日本全国から様々なモノや職人が集まり、多くの産業が発展してきました。交通インフラの充実性は現在も継承されており、利用可能な鉄道路線数は17本、駅数は9駅と、日本国内の各地方と接続する「国内ハブ機能」はもちろん、浅草線により成田・羽田と直結する「国際ハブ機能」も担う、国内随一の高いアクセス性を有しています。
江戸城を中心に形成された江戸藩邸に多くの藩士が居住するようになったことから、日本橋地区・京橋地区には、生活必需品を供給する商人や職人もこのエリアに住み着くようになりました。この商人や職人の集団は組織化され、時代と共に企業となっていったことから、このエリアは現在も多様な産業の企業が集積しています。また、上場企業等、大企業が多く集積している点も、このエリアの大きな特徴の1つです。
このエリアの旧町名の南鞘町や具足町などに見られるように、武具を製作する職人や、狩野派や歌川広重といった絵師も住みつき、その後のものづくり文化(産業・芸術文化)の礎を築きました。芸術文化は絵師の輩出とともに、鋳掛等の修繕・再利用の文化を系譜とする骨董街の発展へとつながります。現在も、京橋エリアには骨董通りを中心に古美術商が集積しており、歴史・文化を感じられる街並みが存在しています。
日本橋には魚市場(魚河岸)、京橋には青物市場(大根河岸)が開かれたことにより、多くの食材が集まったこと、地方から来た多くの職人が単身赴任で家庭で食事の準備ができなかったことから、屋台の鮨や蕎麦をはじめとする江戸の食文化が生まれ、発達しました。また、この食文化は、花柳界の発展にもつながり、このエリアは数多くの文学作品の舞台にもなっています。現在も、このエリアには江戸時代から続く老舗飲食店が多く存在しており、日常の中で、日本の食文化の豊さを感じることができます。
map
東京駅東側エリアには、現在でも多くの“橋”が存在しています。中でも「日本橋」・「京橋」は幕府が造り修復費用も受け持つ、数少ないの御普請橋であったとされ、その後も周辺エリアは「日本橋区」・「京橋区」とそれぞれ橋を冠した区として栄え、「中央区」となった現在も地名として残っています。
また、物理的には平坦で移動しやすい地形、機能的には、職・住・遊がすべて包括されたエリアでもあり、様々な壁を乗り越えて成長し続けなければならないスタートアップで働く人にとって、物理的・機能的・時間的にビジネスとプライベートをスムーズに「架け橋」できる特徴も有しています。
東京建物は、ユニークでポテンシャルの高いこの「Bridge-Tokyo Area」で、イノベーション創出に関わる全ての「人」と「企業」の架け橋になるべく、このエリアにxBridge-Tokyoの他、様々なイノベーション施設を運営しています。